この場所に来るとどうしてこう人の声やら物音が纏わりつくのだろう。それでも嫌な気持ちはしない。むしろ気持ちが高揚してくる。隣に居る彼女もそうらしく、うっすらと頬を赤く染めている。

「花井くん、すごい人だね!」
「まあ、お祭りっすからね。西浦ってこの神社くらいしかお祭りしないし」
「早く、早く行こう!」
「ちょ、さん。んな慌てなくっても」

 カラカラと下駄を鳴らしてさんは小走りで人混みの中に向かう。俺もはぐれないように慌てて彼女の後をついていく。さんは大きな目をこれでもかってくらい輝かせて辺りを見回している。

 さんとは家が近所で家族ぐるみの付き合いをしている。彼女は大学生で俺よりも年上だ。それでも小さい頃からずっと俺はさんのことが好きだった。この気持ちを打ち明けたことはないけれど。大学生活でストレスが溜まっている(この話は俺のお袋から聞いたけど)らしいさんを祭りに誘い出した。少しでも気分転換になってくれれば嬉しいし、やっぱり俺だってさんと一緒に居たい。




 久しぶりにかけたさんの携帯電話から聞こえた彼女の声は、前に聞いたよりも少し大人びて聞こえた。

「え?お祭り?」
「はい、あ、でも、さんが行く相手とか居なければ…ですけど」
「ううん、大丈夫、花井くん一緒に行こう。お祭りなんて久しぶりだな」

 さんの家の前まで迎えに行くと、彼女は紺地にピンクの桜柄が入った浴衣を着て俺のことを待っていてくれた。普段は下ろしている髪の毛が印象的なのに、上にまとめられていて白いうなじが見えて頬が熱くなるのを感じた。慌てて目を逸らすとさんは俺の気持ちに気づいているのか、気付いていないのか、楽しそうに微笑んだ。




「花井くんっ、何食べたい?」
「俺は何でもいいですよ。さんは?」
「んと…りんご飴!」
「じゃあ、行きましょう」

 さんの言葉に自然と笑顔が浮かぶ。りんご飴は昔から彼女の好物だった。大人っぽく見えても楽しそうに笑う顔とか、昔みたままのあどけなさが嬉しかった。模擬店の前につくと俺が奢るという言葉をさんは丁寧に断って自分でりんご飴を買った。

「りんご飴くらいだったら俺、払いますよ」
「いいの。私のほうが年上なんだから」

 ズキリと胸の奥が痛む。さんがよく年上だというのはいつからだろうか。俺と彼女の年の差は四つ。四年という年月がとても遠くて長くて重い。
 りんご飴を持っていないほうの手に花井の手が重なる。驚いてが顔を上げて花井を見上げると彼は視線を逸らしてそのまま手を引いて歩き出す。

「花井くん?」
「こっち。こんな人混みの中じゃ食えないっすよ。りんご飴」

 花井くんが先に歩いて人ごみのなかを器用に歩いていく。私はりんご飴を落とさないように花井くんの後をついていくので精一杯。時たま私のほうを振り返って心配そうに声をかけてくれるところが花井くんらしくて笑顔が浮かぶ。繋がれた大きな手も、私よりも頭二つ分くらい大きな身長も、がっしりとした背中も、男の人を感じさせる。
 歩いて辿り着いた場所は人混みからかなり離れていた。回りに人影はなく、何本もの木が茂っている。

「花井くん」
「はい?」
「あの、手…」

 俺は慌ててさんの握っていた手を離す。勢いでとってしまった行動に今更ながら顔が熱くなる。

「花井くん」
「す、すいません!俺、つい、その、勢いってか、その」
「花井くんって大きくなったよね」
「は…え?」

 月の明かりしかない場所で、遠くをみたままの彼女は何処か儚く見えた。

「大きくなったなぁって思った。身長も手も…もう高校生だもんね、大きくなってあたりまえか」
「ガキ扱いしないでください」

 出た声の鋭さに自分でも驚く。聞きたくない。子ども扱いしてほしくない。こんなところが既に子供なのかもしれない。それでもさんの口からは聞きたくなかった。 

「あ、ご、ごめんね。そうだよね。嫌だよね」

 困ったようにが俯く。風を受けて木々がざわめく。花井が拳を強く握りこむ。彼女の手を繋いでいたほうの右手。

さん」

 が顔を上げる。月明かりを受けた彼女の肌は不気味なほどに白い。花井が大きく息を吸い込む。

「俺…さんが好きです」

 ボトリ。茶色い地面に不気味なほどの赤が染みて広がっていく。一口も食べられることのなかったりんご飴が転がる。

「っ…」

 俯いたまま小さく震える彼女の肩。泣かせてしまったのだろうか。不安に思い花井が手を伸ばそうとすると彼女が勢いよく顔を上げた。

「ぷっ…あはっ、あははははは!!」

 あまりにも場面に似つかわしくない笑い声に花井は思わずを見やる。そんな花井をよそにはお腹をかかえて笑う。高い声が響く。

「あの…さん?」
「ご、ごめん、ごめん、ごめん!」

 が目尻に浮かんだ涙を指でぬぐう。それでもまだ面白いのか笑顔を隠せていない。

(何だよ、さっきの緊張感…)

 ガックリとうなだれる。さっきの俺の緊張感やら一生分の勇気は何だったんだろう。思わず頭を抱えそうになった時にさんが俺へと一歩近づく。

「花井くん」
「え、あ、は」

 はい。と返事をしようとした口を塞がれる。目の前に写るのはさんの顔。ぼんやりとしか見えないけれど睫がすごく長かった。

「っ、な…!!?」

 さんが精一杯背伸びをしていたのだろう。唇が離れて俺は慌てて自分の唇を掌で覆う。信じられない。でも唇に残った熱は本物だ。

「花井くん。私ね、さっき子ども扱いしたいんじゃなかったの。大人になったねって言いたかったの。知らない男の人みたいでびっくりしたの」

 いたずらっ子みたく笑うさんが愛おしくて抱き締めたくなる。腕を伸ばしかけて彼女の顔を見やる。

「…抱き締めても、いいですか?」
「いいですよ」

 そっと抱き締めるとふわりと甘い香りがした。ゆっくりと彼女の腕が俺の背中に回されるのがわかる。ずっと触りたかった。こうして抱き締めたかった。強く抱き締めると折れてしまいそうな気がして優しく抱き締めることしかできないけれど。それでも幸せだ。

「…なんで、じゃあさっき、笑ったんすか」
「だって…花井くん、りんご飴みたいに真っ赤なんだもん」
「今のさんだって人のこと言えないじゃないっすか」
「花井くんだって」

 見つめあってお互いに笑い、どちらからともなく唇を寄せる。何処か遠くで花火が上がる音が聞こえた。



真っ赤なりんご飴と君




(りんご飴、まだ一口も食べてなかったのに)
(次は俺が買いますよ、りんご飴)
(お願いします)